街の歴史

神田駅西口商店街と佐竹稲荷の歴史

「神田」は、東京都千代田区の中心、皇居から見て南・北方向に広がり、現在はJR神田駅の西側に広がる一帯です。

これは1590年(天正8年)に、江戸に幕府を開く際、戦略的な重みを考えて、西・北の台地の方向に、有力な大名屋敷を配し、東・南・北の低湿地帯に町家を集めたことに始まります。

佐竹稲荷神社
(佐竹稲荷神社)

東の日本橋から、南・北の神田へは、水運に恵まれ日本橋から鎌倉河岸に至るまで、魚河岸や青物市場が開かれたこともあって、町家(商人・職人)の街(いわゆる下町と呼ばれている)が形づくられていきました。神田・佐竹稲荷神社 佐竹稲荷 もちろん神田と言えば神田明神、武蔵の国の豪族であった平将門を祭神とし、江戸時代には赤坂の山王神社と江戸を二分し、天下祭りと言われて、この頃より全国的に有名となりました。その祭りは2年に1度、そしてその陰の年に、「神田駅西口商店街」では「神田☆秋田湯沢七夕絵どうろうまつり」を催しています。

秋田県佐竹藩は、1600年(慶長5年)の「関ヶ原の戦い」に豊臣側についた為、常陸太田(ほぼ茨城県)の佐竹家が家康の怒りをかい、1602年(慶長7年)転封させられ、爾来、秋田の佐竹候と呼ばれるようになりました。

秋田藩では大館の西家、久保田の東家、角館の北家、湯沢の南家に所領がわかれていました。 1702年(元禄16年)、佐竹南家五代目の当主・義安公に京都の左大臣・鷹司家からお興入れされた姫君が、御年十四歳、せめてこの姫君を七夕の夜にお慰めしたいと、絵どうろうを軒端にかかげたことが、街の人達にも知れ渡り、今日に続く「湯沢の絵どうろうまつり」になりました。

神田駅西口商店街の歴史

神田駅西口商店街は、巾6m、全長300mの間に、お店100店、その中程に、 佐竹稲荷神社が鎮座されています。

この辺りは、1610年(慶長15年)から1682年(天和2年)の大火で焼失するまで、秋田・佐竹藩の江戸上屋敷があったと伝えられています。

神田駅西口商店街アーケード
(神田駅西口商店街アーケード)

この佐竹稲荷の取り持つ縁で、「千代田区の神田」と「秋田県の湯沢市」が共催で、湯沢市の「絵どうろうまつり」を、本番(8月初旬)の前、7月に神田のイベントとして実施しております。2日間で延べ約30万人程の人出があり、当日は振舞酒やうちわを配り、お店では、ワンドリンクサービスなどを実施、また湯沢の物産や絵どうろうのTシャツも好評でした。

神田駅西口商店街アーケード 佐竹稲荷神社では1953年(昭和28年)宗教法人法により包括団体を神社本庁に法人登記し、その祭祀は神田明神の神職が兼務し、其の護持は地元有志に委ねられて、現在は火伏の神様、そして商いの神様として、また神田の守護神として、地域コミュニケーションのシンボルとして、西口商店街のにぎわいの真中に存在しています。